今日は、朝一番に事務所で打ち合わせを行った後、午前中から午後にかけて、地元の方々のご案内で、佐賀市北部などの地域での挨拶まわりでした。
そして夜の便で上京。明日からの国会に備えます。
さて、62年前の今日、米国によって広島に原爆が投下されました。また9日は長崎に原爆が投下された日です。
原爆をなぜ米国が投下したのか。今日も、多くの報道がなされていましたが、米国における学校教育などにおいては、原爆投下は「戦争を早く終結させ、より多くの人々の命を救った」という論理で正当化されているとのことです。
以前にこのブログにも書きましたが、この論理での原爆投下の正当化には、私は納得がいきません。この論理が正しいのであれば、「戦争を終わらせるためには、(核兵器を含む)大量破壊兵器を使ってもよい」ということになります。これは核拡散防止条約をはじめとして、世界的な輪の中で、核兵器などの大量破壊兵器を規制していこうという努力とは反するものです。
世界一の大国といっていい米国のこのあり方は、私は大きな問題だと思います。 米国は本当に核不拡散の思いを真摯に行動に移そうとしているのか、これは疑問だと私は思っています。核拡散防止条約の中でも、米国を含む5カ国はすでに核を保有する国として特別な地位を与えられています。
また米国は2006年、この条約に加盟していないインド、パキスタンが核を保有することを容認する態度を示しました(一方イランの核開発疑惑に対しては極めて厳しい態度をとっています)。これが核不拡散を全世界に広げていこうとする真摯な態度と言えるでしょうか。
この点、日本は唯一の被爆国として、核不拡散について、米国に対して、もっと厳しい言葉を述べてしかるべきだと思います。米国に対しても言うべきことはしっかり言える、それが真の対等な同盟関係ではないでしょうか。
コメント
コメント一覧 (7件)
トーマス・シーファー駐日米国大使との会談の際、党首討論で小沢氏が述べた「言うべき事は言う」に従い、原爆投下・無差別空爆等の戦争犯罪に対する謝罪を求め、結果を引き出す事に期待しています。
他国の教え方に文句をつける前に自国の教えはどうなのか、そもそも本気でそのような事を当時思ってたのか、今はどうなのか。
歴史は戦勝国によって戦勝国の有利なように書き換えられる事が常だと思っています。
「なぜ、そうしたのか」というよりも「そういう事実があり、それによって大量の死傷者が出た、そして今もそれが原因で苦しんでいる人が居る」事実の方が重要のような気がします。
そう考えると、歴史に「行動の意味」は無意味ではないかと思います。
当時決定権を持った人が公式にそういう思いでそういう行動をした、という公式な書面ないし録音データなどがあれば別ですが。
教え方というのは国によってまちまちです。
アジア兼でもそれが見られてますし、それは未だに解決に至っていません。
多分永久に解決することは無いと思います。
他国の教え方にいちゃもんを付ける前に日本でしっかりと起きた出来事を教え、他国でこういう風に説明しているが、自分達は堂思うのか、というのを考えさせた方がいいような気がします。
支援者のケツを舐め舐めしつつ暴力団員の葬式にホイホイ出て行ってそれでよしとする人間が、
「真摯な態度」を云々するなどちゃんちゃらおかしいわ!
大串はみかじめに毅然と立ち向かった結果工藤会に手榴弾をぶち込まれた北九州市のクラブの従業員にお詫びを入れて自決するべきじゃないの?
俺の親はヤー公に殺されたんだ。
なのにヤー公にひざまづくクズがのうのうと代議士を気取るなんて、畜生。
民主党が政権を取ってもいいけど、大串だけは外してくれ。お願いだ。
原爆を罪として語るなら、今の国際法ではなく、当時の戦時国際法で語るべきじゃないのかなー
「大東亜戦争時における米国の戦争犯罪非難決議案」でも提出して国会で審議して欲しいです。
早く戦争を終わらす正当な手段なら朝鮮でもベトナムでもイラクでも
落としてさっさと早期解決すればよかったのにやってないってことは
正当な手段じゃないってわかってんですよね。
あくまでも日本向けの言い訳