今週末、地元で活動している時に、「国会で、民主党の大臣さんは、何にも見ないで答弁しとった。さすがばい」 そういう声をいただきました。
確かに昨日月曜日に始まった予算委員会での答弁には、各大臣が答弁書を見ずに答弁に立つケースがかなり多く、目新しい印象を与えました。
これはひとつには、もちろん民主党の各大臣が、自ら政策を考え、語れる準備ができているという面もありますが、自民党議員からの質問自体が、答弁書を見ないでよいような、政策方針にかかるものが多かったこともあったと思います。
国会答弁における政治主導のあり方は、今模索中というところではないでしょうか。できるだけ官僚による答弁に頼らず、国会議員自身が答弁に立つというポイントがひとつあると思います。それと今回指摘されたように答弁書をどれだけ使うかというもうひとつのポイントもあると思います。
私自身は、できるだけ国会議員自身が答弁をする方向で考えることは望まれる方向だと思います。しかしながら、答弁書をどれだけ使うかは、政治主導か否かという面のみならず、質問がどれだけ技術的な細部までにいたるものかという点もあると思います。
財務省出身で、これから財務省の政務官として財務省案件について答弁に立つ立場になる私でさえ、全てを答弁書を見ずに答弁せよ、ということになると、自信はありません。
要は、どれだけ政治家の思いと言葉で、かつ、いきいきとした国会論戦ができるかということだと思います。やり方はいろいろ考えられます。全てが新しいトライです。