舛添知事の公私混同疑惑問題。
舛添知事は、「第三者の厳しい目で検証してもらう」と繰り返し述べ、第三者の検証をもって、身の潔白を証明していこうという姿勢を示していました。
ところが、今日、その第三者の選定日。出てきたのは「第三者」は公表しないと。
公表できない第三者は、「第三者」と言えるのか。
第三者に検証をゆだねる意味は、公正中立な第三者だからこそ信頼を回復できるという流れがあると思います。
ところが、その第三者が公表できないとすると、本当に「公正中立な第三者」であるか、判然としません。だから舛添知事の問題も、問題解決にはつながらないと思います。
同様のことは、甘利前大臣の口利き疑惑でも生じました。甘利前大臣は、記者会見で、東京地検出身の第三者に調査をしてもらうと表明しながらも、その第三者は公表しませんでした。したがって、甘利前大臣の疑惑が晴れたかというと全くそうなってはいません。
「第三者」は、みんなの目にさらして「第三者」である必要があると思います。