橋下大阪府知事が、いずれかの段階で、来る解散総選挙での自分自身としての政党支持を明らかにすると述べています。これに関連して、当然「地方分権」にどう取り組むかが大きな政策上の判断材料としています。
橋下知事は、民主党の地方分権についての考え方を「基礎自治体と国との二層制である」として「それでは絶対にだめだ、道州制だ」と指摘していると報道されています。
しかし、何度もこのブログに書きましたが、私たち民主党の地方分権に対する考えの基本は、どのような大きさ、形の自治体が望ましいか、基礎自治体がいいのか、県がいいのか、道州がいいのか、という組織論がまず重要なのではなく、より実質的な財源や権限の分権の問題が先決だと考えています。
補助金、交付金を通じて国が一手に握っている財源、さらには国が地方に対してあれやこれやと課している規制、基準の数々。これらの権限を地方に戻して、地方が自分で自分たちのことを決められるようにする。これをまずは徹底的に行うことが重要です。
この財源と権限の分権が十分に行われれば、その後どのような広さ、大きさ、形の自治体組織が望ましいかということは、おのずと答えが出てくると思っています。
基礎自治体がいいのか、県がいいのか、道州がいいのかといった組織論を先に行うと、これに合意を得るのに延々と時間がかかってしまって、肝心の財源、権限の分権が後回しにされてしまいます。仮に県が道州になったところで、財源、権限の分権が進まず、相変わらず国が握ったままでは何も事は変わりません。
自民党は分権のことを述べるときには、「道州制!」と言いますが、私はこれは権限や財源の分権化を後回しにし、その一方で分権に前向きな姿勢を示すためのポーズに近いと思っています。
果たして橋下知事は、「道州制が重要だから、民主党の分権論はダメだ」ということであり、報道によるとこの件で橋下知事と民主党の担当者が意見交換を行うやにも聞いていますが、本質論ではない「組織論」で不毛な議論とならないように、私も意見を述べていきたいと思います。
コメント
コメント一覧 (4件)
橋下知事が言うところの道州制の定義を知りたいですね。道州という行政ブロックが優先なのか、大阪への財源&権限が優先なのか興味津々です。
そもそも「地方分権」が必要なのか?と私は思います。
地方に分散させることこそ、無駄だと国と地方を両方
見てきた私は思っていますが。
「地方の役割」だの「分担」だのという権力の綱引き。
地方の長が国から束縛されないことこそ異常だ。
市町村⇒都道府県⇒道州と来て、次は「国」になる?
一国にいくつの国を作るつもりなのか?と危機感が募る。
地方分権の話は、歯止めの利かない不毛な話にしか聞こえない。
原口議員との討論会だそうですが、橋下知事に利用されてはならないと考えています。彼の基盤はあくまでも自民党です。
東国原知事と手法が違うかもしれませんが、連携して自民党の浮上を考え、そのために道州制を議論の前面に押し出すつもりだろうと思います。
原口議員のディベート力は相当のものがありますが、簡単に考えてはいけません。狙いは「民主党ではだめだ」と烙印を押すことにあります。
討論の為に相当の準備を原口議員ともどもお願いいたします。
マスコミの大げさな取り上げ方によっては民主党のダメージにもなりかねません。これで自民党が地方分権を丸呑みにさえすれば(必ず呑みます)マスコミは大騒ぎし、政権交代は遠のきます。
静岡県知事選も都議選も東国原知事の登場で自公圧勝でしょう。
民主党も腰を据え、政権交代を推し進めるために第二の○○劇場を阻止することです。頑張ってください。
私は少し知りあい様に同意します。
前にも書きましたが、大串議員は国の官僚に極めて厳しい割に、地方の役人には激甘なようですね。今の地方自治体に、さほどの立法、行政能力があるとは私には思えません。要は好きに遣えるカネをもっとよこせと言っているだけです。渡したカネがムダ遣いされない保証は全くありません。
自治体の長が皆、橋下氏並みに弁が立ち、日教組や官公労を向こうに回して対等に戦えると言うなら話は別ですが、実際にはそういう市長や知事は数少ない。そして役人によるムダ遣いで財政が疲弊している構図は、国でも地方自治体でも同じことです。ついこの間も千葉市長が汚職疑惑で逮捕されましたが、現段階での地方自治体への権限委譲は、こうした例を確実に増やすでしょう。
国民が監視する対象は、大きくて数が少ない方が能率的だと思います。つまり国。最近、大串議員がやっている「仕分け」にしても、自治体ごとにこれをやるとなったら大変な手間ですよ。
今の段階では、公共事業費の地方分担比率を「若干」変えるとか、交付金を「若干」増額するとか、個別の案件ごとに対応すれば十分で、一足跳びの地方分権はリスクが大きく、橋下案にも民主党案にも賛成出来ません。