はじめまして、大串博志(おおぐしひろし)です。
私は今年3月まで財務省に勤めていました。平成元年4月に(当時の)大蔵省に入って、その後16年間働きましたが、この3月に辞職しました。
辞職する直前は、金融庁銀行第一課というところで、大手銀行の監督を担当していて、いわゆる銀行の不良債権問題と格闘していました。
財務省に勤めて16年、日本の経済、財政のあり方を見続けてきました。その間、ワシントンDCにある国際通貨基金(IMF)や、インドネシア大使館での勤務もあったことから、海外からの視点もあわせて、日本の姿を見てきました。
そうしているうちに、日本の経済について、世界の尺度に照らしてみると、なんとおかしいことか、ということがたくさん目につくようになってきました。
その最たる例が、巨額な財政赤字。現在の日本の財政赤字の規模は、世界的に見て異様なほど大きいものとなっています。
財政赤字が巨額だ、という問題が、私たちの生活に直接影響してきている、いい例が年金問題です。今の財政状況を見ていると、年金が将来にわたって確実に受け取れるとは、なかなか信じられません。
年金が受け取れないというところでとどまれば、まだいい方?かもしれません。もっと恐ろしいことに、財政赤字がきっかけに、経済にクラッシュ的な状況が生じる可能性もありえます。財政赤字はご存知のように国債(国の借入)でまかなわれていて、今は金融機関や個人など、いろいろな先が国債を買ってはいます。ところが、将来もずっと財政赤字が増え続けて、国債が発行し続けられたときに、誰かが、「あれ、この国債持ってて、将来ちゃんとおカネが返ってくるんだろうか?」と疑問を持ち始めたらどうなるでしょう。そうなったら、あの人が心配しだすと、私も…、とみんな連鎖反応的に心配し始めて、国債を買う人が極端に少なくなってしまうかもしれません。そういうことが起きる可能性がないとは絶対に言い切れません。そうなったら、国の活動はあっという間にストップです。なにせ、単純計算すれば、国は一日数千億円の単位で、国債を発行しておカネをまわしているのが現状ですから。
日本のおかれている状況はこんなところです。ウソのような話ですが、本当です。これがウソのように聞こえるところが、借金の借金たるゆえんなのです。借金は、借入につぐ借入でまわっているかぎりは痛くも痒くもないものです。ところがいったん貸主がやってきて「返せ!」と言ってきたとたんに、現実の重しとなってくるわけです。
そんなわけで、この財政赤字は、とにかくなんとかしなければなりません。
ところがこの「財政赤字をなんとかする」というのは、財務省の中で働いてよくわかりましたが、本当に大変なんです。「予算は政治そのもの」とよく言われますが、まったくそのとおりで、予算の内容を変えるということは、そのうしろにはりついている、いわゆる「族議員」さんたちの顔色をよ~く伺いながらやらないと、なかなか実現が難しいからです。族議員さんたちは、自分が「担当」している予算を取ってくることで票を獲得しているわけですから、「この予算を減らします」と言われても「ウン」といってくれるわけがありません。
だから大変なんです。ひとつひとつの予算項目について、いちいちこんな次第ですから、財政赤字全体を減らしていこうというのは、とにかく難しい作業であって、政治の枠組みそのもの変えないと土台無理、といった具合のものです。
「政治の枠組み」自体を変える、つまり、現在の政治のあり方を一度ガラガラポンして、ものを変えやすくしないといけない、そう思ったときに、財務省を辞めて、政治の世界に飛び込まなきゃ、という気になったわけです。
周囲からは猛反対されました。そりゃそうですよね、安定した仕事を捨てて、リスク満タンの世界に足を踏み込もうとしたわけですから。
そんな反対を、なかば押し切る形で、3月4日に財務省を辞職しました。財務省に辞職したいという意思を伝えたのはその数日前です。当然、役所の上司、先輩からは「考え直せ」という強い慰留がありました。しかし、最終的には本人の意思固し、ということで納得してくださいました。
3月4日以降、役所の内外、これまで仕事などでお世話になっていた方々に挨拶回りに行きました。また、それまで住んでいた公務員官舎を急ぎ立ち退かなければならなかったので、引越しの準備を猛スピードで進めながら、同時に故郷佐賀での新しい家を探し、そうこうしているうちに3月はあっという間に終わりました(送別会を開催してくださった方々ありがとうございました!)。
4月はじめにやっと佐賀に引越し、居を構え、4月の半ばころから、やっと、親戚、縁者を手始めとして挨拶回りを開始することができました。
選挙が近づく前の間は選挙活動とは言わないらしいです。後援会作りの活動、ということのようです。したがって、私は現在、後援会作りの活動を、手探りで始めているところ、ということです。
毎日、毎日、各地域の核となってくれる方々にお会いするために、あちらこちらを飛び回っています。
また、後援会作りをしていくためには、当然、物理的な活動拠点(事務所)と手助けしてくれる人々(事務所スタッフ)が必要です。最近は活動の事務所を探す作業も頑張って取り組んできていて、目途がつきつつあります。事務所スタッフについても候補者が挙がってきています。
そして、先週土曜日、5月28日、民主党の佐賀県連の定期大会が開催されたのにあわせて、佐賀県第2区から、次期衆議院議員選挙に立候補予定であること(選挙が間近ではないので、あくまでも「立候補予定」と言うそうです)を正式発表しました。
佐賀県2区というところは、佐賀平野のど真ん中、穀倉地帯、農業地帯が大半で、保守層の強いところと言われています。そんなところで、民主党から、改革を訴えて、地盤、カンバン、かばんのいわゆる「3バン」のない若者が、国政参画に向けて活動開始。会う人会う人から、「こんなのよく決断したね~、安定した仕事だったのに、もったいないね~」と、あきれた表情で言われます。
悩みに悩んで決断し、3月4日に役所を辞職し、4月初めに佐賀に引越し、とりあえずここまできました。これから私はどうなるのでしょうか?役所を辞めたのはいいものの、本当に国会議員ってなれるものなんでしょうか?
これから、いろいろおもしろ経験をするんじゃないかという予感があります。それを皆さんに知ってもらうべく、レポート気分で綴っていきたいと思います。ヨロシク。
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