航空自衛隊のイラク派遣の一部の活動について、憲法9条違反が含まれているとの判決を下した名古屋高裁の判断に、永田町においてはいろいろな反応が飛び交っています。
私自身としては、今回の判決については妥当なものと思っていますが、いろいろな反応の中には、今回の違憲判決が判決の主たる部分ではない、いわゆる「傍論」のところで述べられていることなどをとらまえて、適当ではないとする意見や、そもそも裁判所は自衛隊のあり方・活動のような極めて政治的な分野については判断を差し控えるべきだとの意見もありました。
しかし私はそのようには思いません。
日本の裁判所は、憲法判断をあまり行わない裁判所だと言われています。できるだけ憲法判断を避けながら、事案に関する判断を下すというわけです。もっと正確に言うと、日本の裁判所は憲法判断自体はそれなりに行っているのであるが、違憲判決はなかなか行わないとも言われています。
私は日本の裁判所の、憲法判断消極主義、違憲判断消極主義については大きな問題だと思います。
日本には憲法裁判所は存在しません。したがって、この世の中で起こっていることが憲法に沿っているのか否かを、適切な立場から判断できるのは裁判所しかありません。
その、裁判所が、憲法を基礎にいろいろな法律・制度を立案しながら行政活動を行う政府の活動に対して、憲法判断をしないということになると、だれが憲法の番人役をするというのでしょうか。
そのように裁判所が憲法判断を避け続けてきたがゆえに、国民全体として、憲法を我がものととらえ、今の世の中のいろいろな制度、仕組みが憲法に沿っているか、私たちの憲法がどう生きているのか、それとも生きていないのかを、主体的に考える機会を奪ってしまっているのではないかと思うのです。
その意味からも、今回の高裁判決は意義のあるものだと思います。
コメント
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この意義ある高裁判決文を書いた裁判長は、6月退官のところを3月末に退官し、判決文は別人が読んでいるわけです。つまり自分の仕事を最後までまっとうせずに、仕事を途中で投げだしているわけです。どう判断なされますか?
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