今日、内閣府と、安倍元総理の「国葬」についての協議を行いました。私が担当する予算委員会でも取り上げるべき題材とも言われています。
戦後、吉田茂元総理の国葬に次いで、二例目となります。それ以降、その他の歴代総理の葬儀の際には、そのほとんどが内閣・自民党合同葬の形で行われていました。
吉田元総理の際には、閣議決定で、国葬として行うことが決められていました。
戦前の「国葬令」においては、国民は喪に服すべし、という個人の自由の制限を含む内容がありました。この国葬令は、日本国憲法施行を受けて廃止されています。吉田元総理の国葬においては、服喪や弔意の表明などにおいて、個人の自由を制限することはしない、という前提で、閣議決定で行うこととする、となったわけです。
一方、十分検討されなければならない点があります。例えば、直近の例の、中曽根康弘元総理の、内閣・自民党合同葬の際に、これを行う閣議決定とは別に、閣議了解が行われていて、その中で、
ー政府の各府省は、弔旗掲揚、葬儀中の一定の時刻に黙とうすることとする
ーそれ以外の「公署」においては、各府省を通じて、同様の方法で哀悼の意を表するよう、協力を要望することとする
とされています。
この「公署」に関して、今日の内閣府の説明では、例えば公立学校も含まれる、すなわち小中学校なども含まれるということでした。
中曽根元総理の時に出された閣議了解のようなものを、安倍元総理の国葬の際にも出すかについては、検討中ということでした。
しかし中曽根元総理の場合、内閣・自民党合同葬であったのに対して、安倍元総理については、岸田総理があえて国葬とした経緯を踏まえれば、最低でも中曽根元総理の時と同様のレベルの閣議了解は出されるでしょうし、場合によっては、より強い形でのものとなるかもしれません。
そうなると、全国の公立学校、つまり小中学校でも「黙とう」などの「哀悼の意の表明」が求められることになるのか。内閣府の担当者はこの点、公立学校での弔意の表明についてはあくまでも「要望」であり、強制するものではない、と説明しました。
しかし、全国の小中学校において、「黙とう」を捧げることが公に要望される、ということ自体、国民の理解を得られるのか。
中曽根元総理の合同葬の際にもこの点が注目されました。中曽根元総理の合同葬は土曜日でしたので、結果として小中学校で黙とう、ということが現実の問題となることはありませんでした。しかし、安倍元総理の国葬が、報道されているように9月27日に行われるとすると火曜日。すなわち子どもたちが普通に学校に行っている日です。
黙とうなど弔意表明の「要望」は、全国の公立の学校でどのように受け止めればよいのか。今回の「国葬」はそのような具体的な問題をはらんでいます。
基本的な点として、今回の国葬に、そもそも幅広い国民の理解は得られるのか。私は大いに疑問だと思います。
そのことが、このような具体的な論点において、これから表れてきます。岸田総理はこのような具体的な論点に対して、国民に対してどう説明するのか。岸田総理は極めて重い説明責任を負います。